「郷愁の三陸海岸・縦断旅日記@ 〜あの頃の、素朴な入り江風景を探して〜」 ある夏の日、私たちは女川の港におりました! それは、震災後初めて、そして数十年ぶりに 三陸の素朴な海風を感じたくて・・・ 企画した旅の始まりの地でした。 まずは、牡鹿半島沖に浮かぶ「金華山」! (この島への旅は、一昨年記しておりますので・・・) 今回は、2年目の参拝を終え、女川の町から三陸の海風を味わいます。日本を旅する!〜あの頃のお素朴な入り江ふ ここ女川では、復興のため町全体のかさ上げも竣工して、 その新しい大地に造られた数多くのお店が 観光客の訪れで活況を呈しておりました。 それは、昔の素朴な漁村を知る私には うれしくもあり、その反面、何とも言えない寂しさを感じる光景でありました。 子供の頃訪れたこの町には、典型的な過疎の風景が漂い、 それでも さな終着駅の周りには、おばちゃんが営む小さなお店が成り立ち・・・ 金華山航路の桟橋までの約10分! 穏やかな時間の中、潮騒とうみねこの声をBGMにのんびりと歩いたものでした。 さて、今回は、そんな商店街の一角で新鮮なお魚をいただき ジャンボタクシーに乗り込んだら 三陸海岸、素朴な入り江探しの始まりです。 ここから、南三陸町までは 国道や現在整備中の「三陸道」、そして県道をゆっくりと北上します! わりと内陸を走るため、津波の痕跡はあまり感じませんが 時折寄り添う「旧JR気仙沼線」の線路やその遺構・・・ 約35年前の国鉄時代に車窓風景を味わったことを思い出すと 胸が少しだけ気持ち悪くなるのを感じてしまいます。 あの時あったあの風景! それが、一瞬にして、全く別のものになってしまう・・・ でも、あの時感じた風景を自分なりに伝えて残していきたい! そんな、ちょっぴりセンチメンタルな気分は、私だけ・・・ 私たちは、南三陸の町に降り立ちました。 そこは、あの「防災庁舎」の・・・ 「南三陸町防災庁舎」 震災遺構は残されているものの・・・ 復興商店街は、賑わいに包まれ、 さらに旧市街地は、高台移転を進めていました。 先日参加する機会をいただいたある政策フォーラムで・・・ 「地域の祭礼を大切にし継続しているコミュニティーは、災害時の復興も早く進む!」と・・・ 「まちづくり」における「祭礼」の重要性を唱える 学者の方がいらっしゃいました。 そんな面からも地域に差が生まれて来るんだなぁ!なんて・・・ 少しだけ、「観光」や「復興支援」とは異なる視点で ここ「南三陸」の町を思う時間となりました。 さらに私たちは、夕暮れ風景の中、北を目指します! しばらくして、空と大地のコントラストが分からなくなる頃 「陸前高田」の町に到着! ここでは、夕闇に包まれながら かなり遠方に松原を臨み・・・ その豊かだった松林の景観を心のスクリーンに映し出すことが 精一杯でありました。 ここからは、暗闇をまっすぐに突き抜けるような「三陸道」を走行し 今宵の宿泊地「大船渡」に向かいます。 「三陸の旅」第一日目は・・・ どうしようもなくセンチメンタルな感情に包まれて暮れていきました。 (2018年8月13日FB投稿) 「郷愁の三陸海岸!縦断旅日記A 〜あの頃の、素朴な入り江風景を探して〜」 第一日目は、三陸海岸の南側・・・ 主に宮城県を辿って参りましたが、 視線を遠くに向ければ・・・ かつてと同じ「真っ青な大海原」が静かに白波を立てているものの 足元に目を移すと・・・どうしても何とも言えない寂しさがこみあげてくる・・・ そんな郷愁の旅のはじまりとなりました。 「三陸海岸」に 初めて訪れたのは昭和57年の夏! 大船渡線や気仙沼線の車窓に流れる 沿線の町では 当たり前に日常が営まれていて・・・ その2年後に部活で訪れた旧三陸町(現在は大船渡市)! そこには、田舎ならではの素朴な風景が、ありのままに存在していて・・ そんな、野山を、恒例行事の「オリエンテーリング大会」で走り回って・・・ でも、そのとき眼前にした数メートルの高さの防波堤・・・ そんな自然の風景には全く似つかわしくない構造物に 「リアス式海岸」が、特別な地形ゆえ、津波が増幅することを肌で感じて・・・ 数十年経過した思い出って、ただでさえ、美しく思えるのに・・・ そんな、昔の素朴な三陸の町まちを思い出しながら・・・ 大船渡の景勝地「碁石海岸」へ! 展望台から、太平洋の雄大な色彩に そして、地球の叫びのような海鳴りに しばし心と身体をを委ねていると・・・ 少しばかり「震災」の現実を忘れられるような気がして・・・ その後、かつての「旧三陸町へ・・・ 現在では、三陸道が整備されていて、約30分と少しのドライブ! 以前は、海岸線に沿って曲がりくねった国道のみで ほぼ直線で海岸を貫く「三陸鉄道」の方が便利だったこと・・・ この「三陸鉄道(南リアス線」! かつて、国鉄の赤字ローカル線「盛線」(盛駅〜吉浜駅)を 昭和59年(1984)4月に廃止と同時に引き継ぎ、 その時新たに開業した区間(吉浜駅〜釜石駅)とともに 現在の「三陸鉄道(南リアス線」となったもの! 実は、この路線の廃止前と三陸鉄道への移管後にこの地域を訪れ さらには、その開業が「旧三陸町」にどのような影響を与えたのか?について・・ 部活で調査したこともあって・・・ 私には、やはり、ちょっと特別な思い入れのある地域なんですよね♪ そして、もうひとつ! この「三陸鉄道」の延伸開業は、 同時に開業した「三陸鉄道(北リアス線」(宮古駅〜久慈駅)とともに かつて、国鉄時代に構想された「三陸縦貫鉄道」の開通を意味していたこと! 南から、 @「石巻線」(小牛田駅〜前谷地駅)、 A「気仙沼線」(前谷地駅〜気仙沼駅)、 B「大船渡線」(気仙沼駅〜盛駅)、 C「三陸鉄道南リアス線」(盛駅〜釜石駅)、 D「山田線」(釜石駅〜宮古駅)、 E「三陸鉄道北リアス線」(宮古駅〜久慈駅)、 F「久慈線」(久慈駅〜八戸駅)・・・ (現在、ABは「BRT」(bus rapid transit)にて運行、 Dは、鉄道にて復旧工事中) なんと、繁忙期には、 仙台駅発三陸経由の青森駅行きなんて列車も走っていたなんて・・・ この1984年は、沿線の「悲願」が実現した年でもあったんですよね♪ またまた、そんな「昔」に思いを馳せながら。。。 「旧三陸町」を訪ねます! かつて、あった素朴な山村風景・・・ でも、過疎化は、その時代でもかなりすすんでいて・・・ 昼食を取れるお店は、1軒くらいだったかなぁ? それが、現在では、「みちの駅」が! 「うん!「昔」より、ある意味にぎわっている♪」 何だか、「心のふるさと」の「今」に少しだけ安堵したりして・・・ 町の玄関口「三陸駅」へと向かいました! そんな感じで、自分の「青春」の色あせた1ページを ひとつずつ確認する時間となりました! 「三陸鉄道・三陸駅」 (2018年8月26日FB投稿) 「郷愁の三陸海岸!縦断旅日記B」 〜あの頃の素朴な入り江風景を探して〜 私たちは、昼食を終え、 あの夏、何度と訪れた三陸鉄道三陸駅へ・・・ 確か、まっすぐに伸びた緩やかな坂道・・・ その両側には、畑が広がり、時間が止まったような山村風景♪ その坂道をゆっくりと駅へ向かいます! そして、ありました「三陸駅」♪ 約32年ぶりに再会した旧友のよう! そこには、盛り土の上に敷設された三陸鉄道の線路が・・・ でも、何か違う・・・ それは、駅の正面に建設された駅舎らしい建物・・・ 中に入ってみると・・・切符売り場や周辺の観光案内のコーナーが・・・ なんと・・・ 無人駅だった三陸駅が観光の拠点になっているではありませんか♪ かつて一緒にはしゃいだ旧友が・・・ 年を重ね出世して地域のために頑張っている! なんだか、自分もこれから今まで以上に少しだけ頑張らないと。。。なんて! そんな、脳内時間旅行をしていたら。。。列車の発車時刻が・・・ その建物を出ると、かつての駅の入り口が。。。そのまま存在していて・・・ うす暗い通路を進み、階段を上がる! そこには、数十年の時の流れを見つめ続けてきたホームが・・・ 「三陸駅のホーム」 しばらく、セミの鳴き声に身を任せていると・・・ あの夏の日の部活の仲間たちが、ふと声を掛けてくれそうな・・・ そしてそんな時、前照灯を明るく照らした釜石駅行きの列車が・・・ その列車のエンジン音が、私を現在へと引き戻してくれたのでした。 実に約30年ぶりに乗車した三陸鉄道♪ この区間は、いわゆるローカル線よりも ずっと、高規格で建設されているためとても乗り心地が良く ディーゼル音が聞こえなかったら、都会の鉄道みたい! 三陸海岸を高台から眺めながら進みます♪ そして、列車は約25分で釜石駅に到着。 「釜石駅に停車中の三陸鉄道」 言わずと知れた製鉄のまち! ここ釜石は、JR釜石線が接続していて、花巻方面へ出ることができ 駅前に降り立つと、ずいぶん都会にやって来たなぁ!なんて・・・ ここから、またまた観光タクシーでの旅へと戻ります。 あの頃旅したローカル線! もちろん、利用するのは普通列車♪ ゆっくりと、そして確実に! ひと駅ひと駅停車いたします♪ そんなローカル線の旅の楽しみは・・・ 各駅の駅名標の撮影! 「大槌」、「吉里吉里」、そして「陸中山田」・・・ みんな、私の旅のアルバムに収まっている! でも、現実は・・・ こうして実際に訪れてみると・・・ それぞれの町からの大きく美しい入り江の眺め・・・ どこにでも存在したそんな、かつての日常が・・・ またまた、少しだけセンチメンタるな気持ちがこみ上げて・・・ でも、そんな時に立ち寄った「陸中山田」にある道の駅の賑わい♪ あの頃の日常は帰って来ないけど・・・ 少しずつ、でも確実に、三陸海岸の町々は前進している! 北上するたびに、そんなことを実感して また、数年後に、「進化した町々」を訪れてみよう! なんて思いながら・・・ 夕暮れに染まった宮古の町にたどり着いたのでした。 (2018年9月9日FB投稿) 「郷愁の三陸海岸縦断旅日記C」 〜あの頃の素朴な入り江風景を探して〜 私たちの目覚めを迎えてくれたのは・・・ 浄土ヶ浜を見下ろす高台からの大海原の絶景♪ リアス式海岸が続く三陸海岸・・・ ここ浄土ヶ浜だけは、美しい砂浜が広がっていたのです! ただ、あの震災の日・・・ 標高50mに建つこのホテルが、大海に浮かぶ小島のように・・・ でも、その立地がゆえ、「三陸」唯一のごとく君臨している! そんな発見も、今回の旅の大きな収穫かも知れません。 こんな「おもてなし空間」を名残惜しみながら、 私たちは、宮古駅へと向かいました。 そして、たどり着いたJR宮古駅! ここからは、JR山田線で盛岡駅へと出ることもできますが・・・ 今回の「三陸縦断」は、さらに北を目指します♪ 宮古駅発11時04分北リヤス線久慈駅行き・・・ ここからは、連続テレビ小説の舞台となった世界・・・ でも、私にとっては、国鉄宮古線をたどる旅! ホームには、1両編成のかわいらしいディーゼルカー・・・ 鈍いエンジン音を響かせ、宮古駅をゆっくりと離れます! そして、途中にある田老駅! そこは高架構造、高規格で建設されているため三陸鉄道自体は津波の影響なし・・ でも・・・海岸線にそびえる城壁のような堤防! あの津波は・・・これも乗り越えたのか!!! 約30数年前にバスへと乗り換えて・・・ 夕暮れに染まる田老の町で目にした「大堤防」! それが、まさか・・・ そんな郷愁の世界に少しばかり思いを巡らせていると・・・ 最後まで「北リアス線」の復旧を妨げていた島越駅に・・・ 今回の旅!本来であれば、 ここでいったん途中下車! 「断崖クルーズ」へと向かうはずでした・・・ しかしながら、潮位が高いため欠航。。。 三陸海岸に浮かぶ「海のアルプス」♪ は次回へとお預けとなりました! 車窓は、このあたりから随所に「ドラマの風景」が・・・ そこでは、徐行運転や撮影タイムの休憩も・・・ なんともサービス精神旺盛な「北リアス線」の旅となりました♪ そして12時44分。終着久慈駅に到着! 名残惜しい「さんてつ」の列車♪を後に駅前へと向かいます! 駅付近を探すこと数分♪ ありました!「久慈ステーションホテル」! 約30数年前にお世話になった・・・ それも、寝坊して大変な旅となった! そんな旧友との再会も記憶のアルバムに収めない訳には参りません♪ (まぁ、この旅の記録は、またいつか・・・) ついにエピローグを迎える「三陸の旅」♪ そのシーンを演出してくれるのは・・・ 近年各所で運行している「レストラン・トレイン」♪ ここ久慈駅から八戸駅間の約2時間の旅を 「東北エモーション」号が担います! 「観光列車・東北エモーション」 この3両編成の「東北エモーション」号♪ 中間の1両はライブキッチンとなっていて、 まさに、「走るレストラン」♪ 全国には、ただ「お弁当」を提供する列車も多い中、本格的な仕様です! そして、今回私たちが乗り込んだ八戸駅行き! オードブルとデザートを思う存分いただきます♪ 静かに久慈駅のホームを離れた列車・・・ 車内は、レストランそのもの♪ クルーのきめ細やかな気遣いに、車窓を眺めるのも忘れてしまうほど・・・ そんな食事を楽しみながらの列車時間♪ たまには、こんな「列車時間」を目的地に加えてみるのも良いかも知れません! ウミネコの生息する北東北の海岸風景♪ そんな風景の中、グラスを傾けて・・・ 今回の「三陸旅」を静かに振り返ります! そして、2019年春、 JR山田線(宮古駅〜釜石駅間)が復旧して三陸鉄道に移管され なんと、盛駅〜久慈駅間が三陸鉄道として1本でつながります! みなさまも、そんな三陸海岸に鉄道を乗り継いで 素朴な入り江風景を探しに出かけてみてはいかがでしょうか? (2018年11月11日FB投稿) |